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泥棒と悪口を言うのとどちらが悪いか

 

1日1話【3月21日】 三浦綾子先生

 

 これは時折、講演で話すのですが、「泥棒と悪口を言うのと、どちらが悪いか」。私の教会の牧師は「悪口の方が罪が深い」と言われました。

 大事にしていたものや高価なものを取られても、生活を根底から覆されるような被害でない限り、いつかは忘れます。少しは傷つくかもしれませんが、泥棒に入られたために自殺した話はあまり聞かない。

 だけど、人に悪口を言われて死んだ老人の話や少年少女の話は時折聞きます。「うちのおばあさんたら食いしん坊で、あんな年して三杯も食べるのよ」と陰で言った嫁の悪口に憤慨し、その後一切食べ物を拒否して死んだという話があります。恐ろしい話です。私たちの何気なく言う悪口は人を死に追いやる力すらある。泥棒のような単純な罪とは違うんです。

 それなのに、私たちはいとも楽しげに人の悪口を言い、また聞いています。そしてああ今日は楽しかったと帰っていく。人の悪口が楽しい。これが人間の悲しい性です。もし自分が悪口を言われたら夜も眠れないくらい、怒ったり、くやしがったり、泣いたりする。自分の陰口を聞いた人を憎み、顔を合わせても口も利かなくなるのではないでしょうか。

 自分がそれほどに腹が立つことなら、他の人も同様に腹が立つはずです。そのはずなのにそれほど人を傷つける噂話をいとも楽しげに語る。私たちは自分を罪人だと思っていない。罪深いなどと考えたりしない。「私は、人さまに指一本さされることもしていません」。私たちはたいていそう思っています。それは私たちは常に、二つの尺度を持っているからです「人のすることは大変悪い」「自分のすることはそう悪くない」

自分の過失をとがめる尺度と、自分以外の人の過失をとがめる尺度とは全く違うのです。

一つの例を言いますとね、ある人の隣家の妻が生命保険のセールスマンと浮気をした。彼女は「いやらしい。さかりのついた猫みたい」と眉をひそめ、その隣家の夫に同情した。何年か後に彼女もまたほかの男と通じてしまった。だが彼女は言った。「私、生まれて初めて素晴らしい恋愛をしたの。恋愛って美しいものねぇ」私たちはこの人を笑うことはできません。私たちは自分の罪がわからないということでは、この人と全く同じだと思います