tsuiteruarigatougozaimasu’s blog

ツイテル感謝しますありがとうございますを大切に生きていきます

運気を上げるための4つのポイント

1日1言 佐々木洋 花巻東高等学校硬式野球部監督

 私はずっと「おまえは運がいい、運がいい」と言われ続けているんですね。「菊池雄星を獲得できて運がいい」とか「棚ボタで選抜に出て準優勝した」とか言われてですね、前は「俺だって努力しているんだ」とムッとしていました。

 でも最近、運というのは、運をつかむために自らコントロールしている人のもとにしか来ないんだと分って素直に喜べるようになりました。

 では自分の何をコントロールしているのかというと1つ目は言葉です。

 2つ目は一緒にいる人。親は選べませんが、友人は選べますよね。あるいは自分の意志で誰にでも会いに行って刺激を受けることができるわけです。

 3つ目が表情、態度、姿勢、身だしなみ。2つ目にも通じますが、チャラチャラした格好をしている子はやはりそういう友達と一緒にいます。

 また野球でも逆転されてシュンとしたり、点を入れて大騒ぎしているチームにはあまり脅威は感じないんですね。逆に負けている時に笑顔でファイティングポーズとかが出るチームって怖いなと思う。特に監督が不安になったりすると一瞬でチーム全体に伝染しますから、表情、態度は常に心がけています。

 そして最後はやっぱり感謝と謙虚さですね、とにかく敵をつくらず、見方を創ることが運を呼び込んでくると思います。

 例えば、うちのチームは宿泊したホテルから帰るときはすごく綺麗に掃除させるんです。甲子園の時もホテルの方が、「花巻東の使った後はベッドメイクがいらないくらい綺麗にしてくれた」と喜ばれまして、ホテルの人たちは球場までわざわざ応援にきてくれたりしたんです。

 菊池雄星は例えばゴミが落ちているのを見ると「神様が自分を試している」と思うと話していました。そうやっていつも神様が自分を見ていると思っているんです。それから私が前にうちの選手たちに「成功している会社の社長さんの家を探っていったら一つだけ共通項があってどの家もトイレの蓋が閉まっていたらしい」と話したら、どこに行ってもふたを閉めて回っています。

 態度が横柄だったり、悪口ばかり言っているチームは人がどんどん遠ざかっていきます。謙虚にしていると味方が増え、その人たちに感謝の気持ちを伝えるとさらに応援してくれるようになる。何をやってもツイている人と、何をやっても空回りする人の差はこの4つではないかと思っています。

社員満足度をいかに高めるか

 

 【1日1話】 横田英毅 ネットトヨタ南国社長

 私は社員満足度を高めるために、社員はどんな時に満足するのかをアンケートを取ってみたんです。「入社して今日までの間にどんな時にうれしかったですか」という質問にに対して、「お客様からほめてもらえた時」「上司からほめてもらえた時」「上司から認めてもらえた時」「難しい仕事をやり遂げた時」「自分の成長が実感できた時」といった回答が出てきます。それをまとめると、社員の声がそのまま、自分たちが将来どんな会社を創りたいのかというチャートになるわけです

 人はみんな自分で考えたいんだと思います。人からこうしろああしろと言われて行動を起こしたら失敗した時にどうしても言い訳が先立ちますが、自分で行動を起こした場合には反省もしやすいですね。社員が自分で考えて行動を起こすようにするために、社員に意見をどんどん言わせるようにもしました。社訓の中に「参加とは参画することではない。発言することである」という項目を入れ、どんな池を言っても咎めないようにしました。全部受け止めて、「彼がそう考えるのは、どこに問題があるのか」と考えるようにしたのです。間違った行動をとっても「それは駄目だ」とは言いません。「なぜそうしたのか」と質問するんです。「もっと考えろ」と言ってもなかなか考えませんが、質問すると考えて答えますから、考える人間になります。

 また、人事考課にもとことん工夫を凝らしました。これは普通の企業がよくやっている人事考課によく似ていますが、項目が細かいのです。例えば規律性という項目だけでも四十項目くらいあります。

「出勤時、すれ違う社員に自分から笑顔で接する」「笑顔ではないが、自分から愛査察する」「タイミングがあえば・・・」とかそこに五からマイナス五の範囲で数字が入るようにしてあります。それぞれの項目に対して、わが身を振り返って数字を選ぶ。自己申告の場合、ともすると自分に甘い人は甘く、辛い人には辛い点数をつけますが、そうならないように工夫したのがうちの人事考課です。これにお客様のアンケートや、ほかの社員の評価も反映させまう。

我々が求めるのは指示する人がいなくなっても、皆が瞬時に、いま自分が何をやったらいいかがわかる社員です。特に来店型のお店の場合は、そのお客様の担当者だけが完璧にそのお客様と接しても駄目なんですね。周りの人間がそのお客様に対して以下に注意を払って、担当者に負けない接客がパッとできるかどうかです。

親父小言

3月27日 青田暁知 大聖寺住職

「親父の小言」をご存じでしょうか。実はこのもとになったのが私の住職を務める福島県浪江町大聖寺の庫裡に掲げられた「親父の小言」の四十五の文章です。

私の父の青田暁仙が昭和三年、三十三歳の時に書いたもので、私が物心をついた時にすでに庫裡に掲げられていました。私にとってはいずれも親しみのある言葉あかりです。ただ、私は十一歳で父と死別しましたので、この小言について父に深く聞くことはついにできないままでした。ですから、父がどういう思いを込めてこれらの言葉を認めたのか、小言を言った親父とは、父の父である青田八郎のことなのか、それとも自分の思いを架空の小言親父に託したのか、はっきりしたことはわかりません。

昭和三十年代の半ば、この小言を町内の商店が商品にして売り出したのをきっかけに、評判が評判を呼んで全国に広がりました。途中、新たな語句が加わったり、逆に本来の言葉が削られたりと、父のオリジナルとは随分異なるものになってしまいましたが、小言が広がったのは、何か人々の琴線に触れるものがあったからでしょう。

火は粗末にするな、朝きげんよくしろ

神仏をよく拝ませ、不浄をみるな

人には腹を立てるな、身の出世を願え

人にばかにされていよ、年寄りをいたわれ

恩は遠くから隠せ 万事油断するな

女房の言うことは半分 子のいうことは八九聞くな

家業は精を出せ 何事も構わずしろ

たんと儲けて使え、借りては使うな

人には貸してやれ、女郎は買うな

女房を早くもて 難渋な人にほどこせ

生き物を殺すな 年忌法事をしろ

魏路は必ず欠くな 博打は決して打つな

大酒は飲むな 大めしを食うな

判事はきつく断れ 世話焼きになるな

貧乏を苦にするな 火事の覚悟をしておけ

風吹きに遠出するな 水はたやさなぬようにしろ

塩も絶やすな 戸締りにきをつけろ

怪我と禍は恥と思え ものを拾わば身に着けるな

小商いものを値切るな 何事を身分相応にしろ

産前産後を大切に 小便は小便所にしろ

泣き言は必ず言うな 病気は仰山にしろ

人の苦労を助けてやれ 不吉は言うべからず

家内は笑って暮らせ

ただ、小言の為書には「親父の生前中の小言を思い出して書きました。今にして考えればなるほどと思うことばかりです」の一文があります。青田八郎の言葉であることを裏付けているようですが、父は石田梅岩の石門進学に熱心に勉強していたことを考え合わせると、あるいはその影響ではとも考えられます

泥棒と悪口を言うのとどちらが悪いか

 

1日1話【3月21日】 三浦綾子先生

 

 これは時折、講演で話すのですが、「泥棒と悪口を言うのと、どちらが悪いか」。私の教会の牧師は「悪口の方が罪が深い」と言われました。

 大事にしていたものや高価なものを取られても、生活を根底から覆されるような被害でない限り、いつかは忘れます。少しは傷つくかもしれませんが、泥棒に入られたために自殺した話はあまり聞かない。

 だけど、人に悪口を言われて死んだ老人の話や少年少女の話は時折聞きます。「うちのおばあさんたら食いしん坊で、あんな年して三杯も食べるのよ」と陰で言った嫁の悪口に憤慨し、その後一切食べ物を拒否して死んだという話があります。恐ろしい話です。私たちの何気なく言う悪口は人を死に追いやる力すらある。泥棒のような単純な罪とは違うんです。

 それなのに、私たちはいとも楽しげに人の悪口を言い、また聞いています。そしてああ今日は楽しかったと帰っていく。人の悪口が楽しい。これが人間の悲しい性です。もし自分が悪口を言われたら夜も眠れないくらい、怒ったり、くやしがったり、泣いたりする。自分の陰口を聞いた人を憎み、顔を合わせても口も利かなくなるのではないでしょうか。

 自分がそれほどに腹が立つことなら、他の人も同様に腹が立つはずです。そのはずなのにそれほど人を傷つける噂話をいとも楽しげに語る。私たちは自分を罪人だと思っていない。罪深いなどと考えたりしない。「私は、人さまに指一本さされることもしていません」。私たちはたいていそう思っています。それは私たちは常に、二つの尺度を持っているからです「人のすることは大変悪い」「自分のすることはそう悪くない」

自分の過失をとがめる尺度と、自分以外の人の過失をとがめる尺度とは全く違うのです。

一つの例を言いますとね、ある人の隣家の妻が生命保険のセールスマンと浮気をした。彼女は「いやらしい。さかりのついた猫みたい」と眉をひそめ、その隣家の夫に同情した。何年か後に彼女もまたほかの男と通じてしまった。だが彼女は言った。「私、生まれて初めて素晴らしい恋愛をしたの。恋愛って美しいものねぇ」私たちはこの人を笑うことはできません。私たちは自分の罪がわからないということでは、この人と全く同じだと思います

命のバトンタッチ

おはようございます。

【1日1話】3月20日 鎌田實名誉院長(諏訪中央病院)

 

僕が看取った患者さんにスキルス胃がんに罹った余命三か月の女性の方がいました。ある日病室のベランダでお茶を飲みながら話していると、彼女がこういったんです

「先生、助からないのはもう分っています、だけどもう少しだけ長生きさせてください」彼女はその時42歳ですからね、そりゃそうだろうなと思いながら返事に困って、黙ってお茶をのんでいた。すると彼女が「子供がいる、子供の卒業式まで生きたい、卒業式を母親としてみてあげたい」と言うんです。九月のことでした、彼女はあと三か月、十二月くらいまでしか生きられない。でも私は春まで生きて卒業式

をみてあげたい、と。子供のためにという思いが何かを変えたんだと思います。奇跡は起きました。春まで生きて卒業式に出席できた。

こうしたことことは科学的にも立証されていて」、例えば希望をもって生きている人の方が、がんと闘ってくれるナチュラルキラー細胞が活性化されるという研究が発表されています。おそらく彼女の場合も、希望が体の中にある見えない3つのシステム、内分泌、自律神経、免疫を活性化させたのではないかと思います。さらに不思議なことがおきました。彼女には2人のお子さんがいます。上のことが高校三年生で、下の子が高校二年生。せめて上の子の卒業式までは生かしてあげたいと僕たちは思っていました。しかし彼女は、余命三か月を言われてから、1年8か月生きて二人のお子さんの卒業式を見てあげることができました。そして、1か月ほどして亡くなりました。彼女が亡くなった後、娘さんが僕のところにきて、びっくりするような話をしてくれたんです。僕たち医師は、子供のために生きたいと言っている彼女の気持ちを大事にしようと思い、彼女の体調がよくなるように外出許可を出していました。「母は家に帰ってくる度に、私たちにお弁当を作ってくれました。」と娘さんは言いました。彼女が最後の最後に家に帰った時、もうその時には立つこともできない状態です。病院は引き留めたんだけど、どうしても帰りたいと。そこで僕は「じゃぁ、家に布団を敷いて家の空気だけ吸ったらもどってらっしゃい」と送り出しました。ところがその日、彼女は家で台所にたちました。立てるはずのない者が最後の力を振り絞ってお弁当を作るんですよ。その時のことを娘さんはこのように話してくれました。「お母さんが最後に作ってくれたお弁当はおむすびでした。そのおむすびを持って学校に行きました。久しぶりのお弁当がうれしくてうれしくて。昼の時間になってお弁当を広げようと思ったら、切なくて切なくて中々手に取ることが出来ませんでした。」

お母さんの人生は40年ちょっと、とても短い命でした。でも命は長さじゃないんですね。お母さんはお母さんなりに精一杯必死に生きて、大切なことを子供にちゃんとバトンタッチした。人間は「誰かのために」と思ったその時に希望が生まれてくるし、その希望を持つことによって免疫が高まり、生きる力が湧いてくるのではないかと思います。

いい言葉は人生を変える 佐藤富雄著

新入社員の時に、本当に素敵な上司が研修のとりまとめ役でした。

その方からお勧めいただいた本で、早速読んでみました

 

 

・幸せになりたいなら幸せな言葉を使おう

・愛されたいなら愛される言葉を使おう

・お金持ちになりたいならお金持ちになれる言葉を使おう

 この口ぐせ理論を実践すれば、良いことを雪崩のごとく起きるのだろうと感じました。

 

口にした言葉によって、その人の行動が変わる、これは自立神経の働き

朝起きて、今日は壮快だというと脳は壮快にしてくれるということです

 

「言葉が意識をつくる」ので、うれしさ、楽しさ、感動を語るとうまくいきます

「恋も仕事も順調だ」

「今日も素晴らしい一日になるぞ」

「日一日とよくなっていく、明日が楽しみだ」

「未来はどんどん開けていく」

「私の人生はよくなるいっぽうだ」

「何が起きても大丈夫、何とかなる」

「必ずできる、とにかくやってみよう」

「私には解決できないことは、私には起きない」

「問題の解決策は、思いがけないところにある」

「いい勉強になった、これから必ず運がよくなる」

「ありがとう、とても嬉しい」

「今とても幸せだ」

「私は周囲のみんなに慕われ尊敬され頼りにされている」

「人生は素晴らしい、毎日が楽しくてたまらない」

「よいことは長続きする」

「私の夢は必ず実現する」

 

上記のような言葉をまずは使ってみたいと思います

 

 

池上彰と考える「死とは何だろう」 池上彰著

 

 42歳のすい臓がんで息を引き取った弟の死に直面し、改めて「死」に向き合いたいと考えました

正直に言って2週間経過した今もまだまだ受け入れられずにいます。東日本大震災等のご遺族のエピソードも掲載されていますが、救われる気がいたしました。

メメント・モリ」=死を忘れない

残された私たちが精いっぱい生きるということ、と感じています。

 

最後に本書で紹介されているスティーブジョブスの言葉を掲載します

私は17歳のときに「毎日をそれが人生最後の一日だと思って生きれば、その通りになる」という言葉にどこかで出合ったのです。

それは印象に残る言葉で、その日を境に33年間、私は毎朝、鏡に映る自分に問いかけるようにしているのです。

「もし今日が最後の日だとしても、今からやろうとしていたことをするだろうか」と。「違う」という答えが何日も続くようなら、ちょっと生き方を見直せということです。

自分はまもなく死ぬという認識が、重大な決断を下すときに一番役立つのです。なぜなら、永遠の希望やプライド、失敗する不安…これらはほとんどすべて、死の前には何の意味もなさなくなるからです。

本当に大切なことしか残らない。自分は死ぬのだと思い出すことが、敗北する不安にとらわれない最良の方法です。我々はみんな最初から裸です。自分の心に従わない理由はないのです。

1年前、私はがんと診断されました。朝7時半に診断装置にかけられ、膵臓(すいぞう)に明白な腫瘍が見つかったのです。私は膵臓が何なのかさえ知らなかった。

医者はほとんど治癒の見込みがないがんで、もっても半年だろうと告げたのです。医者からは自宅に戻り身辺整理をするように言われました。つまり、死に備えろという意味です。

これは子どもたちに今後10年かけて伝えようとしていたことを、たった数カ月で語らなければならないということです。家族が安心して暮らせるように、すべてのことをきちんと片付けなければならない。別れを告げなさい、と言われたのです。

一日中診断結果のことを考えました。その日の午後に生検を受けました。のどから入れられた内視鏡が、胃を通って腸に達しました。膵臓に針を刺し、腫瘍細胞を採取しました。鎮痛剤を飲んでいたので分からなかったのですが、細胞を顕微鏡で調べた医師たちが騒ぎ出したと妻がいうのです。手術で治療可能なきわめてまれな膵臓がんだと分かったからでした。

人生で死にもっとも近づいたひとときでした。今後の何十年かはこうしたことが起こらないことを願っています。このような経験をしたからこそ、死というものがあなた方にとっても便利で大切な概念だと自信をもっていえます。

誰も死にたくない。天国に行きたいと思っている人間でさえ、死んでそこにたどり着きたいとは思わないでしょう。

死は我々全員の行き先です。死から逃れた人間は一人もいない。それは、あるべき姿なのです。

死はたぶん、生命の最高の発明です。それは生物を進化させる担い手。古いものを取り去り、新しいものを生み出す。

今、あなた方は新しい存在ですが、いずれは年老いて、消えゆくのです。深刻な話で申し訳ないですが、真実です。

あなた方の時間は限られています。だから、本意でない人生を生きて時間を無駄にしないでください。

ドグマにとらわれてはいけない。それは他人の考えに従って生きることと同じです。他人の考えに溺れるあまり、あなた方の内なる声がかき消されないように。そして何より大事なのは、自分の心と直感に従う勇気を持つことです。

あなた方の心や直感は、自分が本当は何をしたいのかもう知っているはず。ほかのことは二の次で構わないのです。

私が若いころ、全地球カタログ(The Whole Earth Catalog)というすばらしい本に巡り合いました。私の世代の聖書のような本でした。スチュワート・ブランドというメンロパークに住む男性の作品で、詩的なタッチで躍動感がありました。パソコンやデスクトップ出版が普及する前の1960年代の作品で、すべてタイプライターとハサミ、ポラロイドカメラで作られていた。言ってみれば、グーグルのペーパーバック版です。グーグルの登場より35年も前に書かれたのです。理想主義的で、すばらしい考えで満ちあふれていました。

スチュワートと彼の仲間は全地球カタログを何度か発行し、一通りやり尽くしたあとに最終版を出しました。70年代半ばで、私はちょうどあなた方と同じ年頃でした。背表紙には早朝の田舎道の写真が。あなたが冒険好きなら、ヒッチハイクをする時に目にするような風景です。その写真の下には「ハングリーなままであれ。愚かなままであれ」と書いてありました。筆者の別れの挨拶でした。ハングリーであれ。愚か者であれ。私自身、いつもそうありたいと思っています。そして今、卒業して新たな人生を踏み出すあなた方にもそうあってほしい。

ハングリーであれ。愚か者であれ。